沖縄・21:辺野古の町

辺野古の町で、電線にスニーカーがぶら下がっているのを見かけました。
アメリカなどで時々見かけますが、これは何かのおまじないなのかな?いたずら…じゃないよね??

古宇利島を後にして向かったのは、辺野古でした。

今回の沖縄旅行は、沖縄の状況をこの目で見ておきたいという意味もあったのは先に述べたとおりです。
基地移転の混乱のただなかにある辺野古という場所も、どんなところなのか知っておきたいという思いがありました。
いえ、本当は、ジュゴンが生息しているとか、大物政治家が土地を購入したとかいう辺野古の海岸を見ておきたかったのですが、あまり計画性もなくカーナビ頼りで来た結果、どうやって海岸にいけばいいのかわからないという有様です。

で、とりあえず、辺野古の町にやってきたのですが。

この日はもう夕暮れ時で、あたりはうす暗くなり始めていました。
その時間帯が多分に影響しているのだと思いますが…
辺野古の町は、人気がなく、なにか、やけにガランとして。

まるで西部劇のセットを見ているような印象でした。

とにかく、人の気配がない。
いえ、車があちこちに路駐されているので、すんでいる人はそれなりにいるのでしょう。でも、人影がない。
どこか間違ってきてしまったのかと、旦那とカーナビを見直したのですが、確かにこのあたりが辺野古の町です。

生活の気配がある建物はそうでもないのですが、それ以外の建物は、老朽化が激しいものが散見されます。

この建物↑は貸家になっているようです。

黄昏時の、人気のない町。
突然異空間にやってきてしまったような、妙な感覚に襲われます。
私達の少し前を、犬だけが歩いていきました。

周辺を歩いて気がついたのですが、英語の看板を掲げているところも少なくありません。それも、とても古い。
昔、米兵相手に商売をしていたのでしょう。

「BAR FLAMINGO」と書かれています。
すでにほとんど剥げた、サーモンピンクの壁。これはフラミンゴの色をイメージしていたのでしょうか。

下の写真の看板は、もうほとんど読むことができませんが、上の方にかすかに英語が読み取れます。

ここには、まだどなたかお住まいかもしれません。

こういう看板を掲げた建物が、町のあちこちに残されています。
辺野古の様子を見てみようと、さして深い考えもなくやってきましたが、見たことで私の気持ちは混乱してしまいました。

この町は1960年代、米軍の兵士たちでにぎわう歓楽街だったそうです。
つまり、かつては基地で潤ったことのある町。一方で、おそらくは問題も多かったでしょう。

今でもキャンプ・シュワブがある辺野古。
さらに普天間の基地が移転することを、地元の人たちはどう受け止めているのか。

反対運動は海岸周辺で行われているそうで、だからこのあたりは静かだったのかもしれません。
でもこの町には、「基地建設反対」と大声を張り上げそうな気配が感じられない。
かといって賛成しているとも思えないのですが、そういう次元ではなく…
なんとなく、この町の人たちは騒動から半ば取り残されているのではないかと。

私達は、ジュゴンが住むというきれいな海を見ることもなく、黄昏の辺野古を後にしました。
ここまで来たのなら、時間がかかっても行ってみるべきだったのかもしれません。
でも、この町の様子にやけに動揺してしまい、いたたまれなくなってしまった、というのが本当のところです。

余談ですが、辺野古は黒木メイサの出身地なんですねえ。あのどこか寂しげなたたずまいが私好み(笑)なのですが、彼女はクォーター(お父さんが日本人とアメリカ人のハーフ)なのだとか。

うーん。

黒木メイサの出身地だと知ったら、もう少しくまなく見て回りたかった…かも。(笑)

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