この旅行で、ここには行かなければと思っていた場所の一つが、旧海軍司令部壕です。
ここは太平洋戦争末期、日本軍劣勢の中設営された司令部壕で、全長450mの地下壕の中に4000人の兵士が収容されていたといいます。その中の300mが復元され、一般公開されているのです。
ほとんど手作業で、たった4カ月(本格的な着工からは2カ月)で作られたという地下壕は、まるで迷路のように入り組んでいて、壁にはつるはしで削られた跡も残っています。
この写真は施設のパンフレットです。
今回の写真はこれだけです。というのも、ここではどうしても写真を撮ることができなかったのです。
怖い、ということではありません。
ただ、ここにいた多くの兵士たち、米軍の猛攻にさらされながらも命を捨てて戦おうとしていた多くの人たちのことを考えると、たとえもう姿かたちはなくても、むやみにカメラを向けることができませんでした。
司令官の大田実少将は、この防空壕で壮絶な最期を遂げますが、自決の直前、海軍次官に向けて、沖縄県民について報告する電文を送っています。
沖縄の県民たちが、激戦の中どれだけ大変な思いをしているか、そんななかでどれだけ献身的に尽くしているか…
電文は、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」、つまり「沖縄県民はこのように戦い抜きました。県民に対し、後世、特別のご配慮をいただくことを願います」と結ばれています。
このあまりにも有名な電文は、私も以前から知ってはいましたが、大田少将がまさに最期を遂げたこの場所に来て、沖縄の人々のこと、彼らの苦難と献身をなんとしても本部に伝えようとした少将のことを思うと、ただただ涙が溢れてくるばかりでした。
打ちのめされたような気持ちで地上にのぼり、外に出ると、施設の外は海軍壕公園という見晴らしのいい公園になっています。
大田少将や幕僚、兵士たちは、この眺めを見ることがあったのでしょうか?
今の平和(まだ基地があるにしても、戦時下ではないので)が、65年前にこの場所にいた人たちの犠牲の上に成り立っていることを思うと、何ともいえない気持ちになります。
沖縄の戦跡というと「ひめゆりの塔」が真っ先に挙げられますが、それとはまた違った場所です。那覇空港からも近いので、こちらもぜひ見ておくことをお勧めします。
そして今回私達は、そのひめゆりの塔には寄らなかったのですが、理由はまた後日。
★わたがしさん、
コメントありがとうございます。
沖縄には修学旅行などで中高生も多く訪れるそうですが、
そのときにはひめゆりの塔には行くものの、
こちらには行かないようです。
日本軍=極悪非道というイメージを子どもに植え付けるだけでなく、
開戦の是非とはまた別の問題として、
国を守ろうと命をかけた多くの人たちのことも
ちゃんと教えるべきだと感じます。
戦争を知らない私達は
つらいけど、 戦争の事実に目をそらさず、
戦時下で懸命に 生きた人々の事を、知る必要が ありますね。
さっき 気付いたのですが
「懸命」と いう字は「命を懸ける」と 書きますね…そう 思うと「いっしょうけんめい」と 日頃、言っている事が 申し訳ないような…今の平和に感謝せねば…。