沖縄・43:なぜ私はひめゆりの塔に立ち寄らなかったのか

沖縄の南部戦跡といえば、何はともあれ「ひめゆりの塔」が真っ先にあげられるかと思います。

が、しかし、今回私はひめゆりの塔には立ち寄りませんでした。

実は直前まで迷っていたのですが、すぐそばまで来て、やはり行くのをやめたのです。

では、そもそも、なぜ迷っていたのか。その理由は、私自身にも良くわかりませんでした。ただ、「あの場所に行くのは、どうも…」と、何かがひっかかっていたのです。(注・いわゆる霊感がどうとかのハナシではありませんので念のため)

(あ、上の写真は話とは関係ありません。今回は写真がなくてさびしいので、沖縄で見かけた花です)

前にも何度か書きましたが、私は十数年前一度沖縄に来ています。その際ひめゆりの塔も訪れたのですが、そこで何かひっかかったことがあったのでしょう。

ガンガラーの谷を出て、海沿いの道を西へ向かうと、その道はそのままひめゆりの塔のそばへ続きます。
車の中で、通りかかる直前まで、どうしようか考えていました。
私は沖縄の状況が見たかったのでは?ここまで来て行かないのはおかしいのでは?
…でも、やはりなにかがひっかかっている。

その「ひっかかり」が何なのか、ひめゆりの塔の付近まで来て、その周辺の様子を見て、ハッと気付きました。
私の目に入ったのは、土産物屋がでかでかと掲げた、蛍光色の看板だったのです。

ここは戦没者の鎮魂、慰霊のための場所なのか、それとも観光客を集めるための観光地なのか?

私は、前者だと思っています。
しかし蛍光ピンクや蛍光イエローやらの、しかもポップ体の看板は、この看板の主の考えを明確に示していました。

戦争のために若くして犠牲になった女生徒たちの御霊を慰める場所、と考えたら、そういう看板を出すでしょうか?
出せるでしょうか?

こう書くと、私が看板を前にしばし考え込んだように思えるかもしれません。しかし実際は、その看板を目にした瞬間、私は旦那に「やっぱりやめよう!」と宣言し、ほとんど逃げるように通り過ぎました。
何か、その場にいてはいけないような気持ちに駆られたのです。

噂によれば、(蛍光色の看板のお店かどうかはわかりませんが)ひめゆりの塔周辺の土産物屋が、無料駐車場と偽って車を呼び込み、公営の無料駐車場と誤解して駐車した観光客に「おみやげを買った人だけ無料」と言って、自分の店の商品を買わせるのだそうです(無料駐車場は別にありますので、ご注意を)。

またひめゆりの塔の近くには、献花用の花を強引に売りつけに来るおばさんたちが大勢いるそうです。(香港の占いのメッカ黄大仙にもそういうおばさんたちが大勢います。ド迫力でコワイです)

彼らには彼らの理屈があって、そのような商売をしているのでしょうし、彼らの行いをよそ者が非難することはできないかもしれません。でも、戦争の悲惨さを訴えながら、一方で戦没者の御霊を商売に利用する、その矛盾が私に拒否反応を起こさせていたのです。

もちろん、戦没者を慰め、戦争の悲惨さを世に訴えようとする人たちと、その場を商売に使う人たちは別々なのでしょう。とはいえ、こういう場所でそういう商売をすることが許されている(取り締まられない以上、許されているのと同じです)こと自体、おおらか過ぎやしませんか。

おみやげを売ることがダメだとも、有料駐車場を運営するのがダメだとも言いませんが、その場にそぐわない派手な看板や詐欺まがいの呼び込みは、ひめゆりの塔、ひいては沖縄の品位まで疑われてしまいます。

少なくとも、戦争の犠牲になった少女たちに手を合わせようとやってきた本土の人間にとっては、こういう行為は理解しがたいはず。(単なる観光気分で来る人も多いと思いますが)

そして何より、そこに祀られているひめゆり学徒隊の少女たちは、この状況をどんな気持ちで眺めているのか。

うーむ。私は一体誰を相手に憤っているのかよくわかりませんが、とにかく、沖縄の皆さんは、この状況について真剣に考えるべきなのではないでしょうか。(まさか、沖縄では誰も何とも思っていない、とは言わないよね…)

私はこのとき、息を止めるようにして通り過ぎてしまいましたが、実はその後、後悔もしました。商売をしている人たちの存在は無視して、ただ、もう一度手をあわせてくればよかったかもしれない、と。

でもこの後、場所を移してちょっと不思議なことがあったのです。

その話は、また後で。

◆沖縄旅行記2010:目次◆

“沖縄・43:なぜ私はひめゆりの塔に立ち寄らなかったのか” への5件の返信

  1. はじめまして。ガンガラーの谷の情報を探していて、ここに来ました。面白いレポートがたくさんあって、ついつい読みふけってしまいました。
    ゆめゆりの塔には行かれなかったのですね。その理由ももっともだと思います。
    ただ、戦争の遺跡であっても食っていくための道具に使わざるをえない、使えちゃうくらいそれが日常のものだということも、沖縄の現実なのかなと思いました。そういう意味で、蛍光色の看板やえげつない商売もまた、戦争が残した影響をあらわしているのかなあと。
    こういう違和感って、覚えてもなかなかことばにできないと思うのですが、正面切って書いてくださって、考えるきっかけとなりました。

  2. ★雪野さん

    こんにちは、初めまして。
    お返事が大分遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

    沖縄の観光に従事されているとのこと、
    色々とご苦労も多いかと思いますが、
    やりがいもあるお仕事ですよね。

    沖縄の方のお気持ちをコメントしていただいて
    ありがとうございます。

    沖縄の皆さんの感覚と本土の人間の感覚とでは
    お互いわからない部分、食い違っている部分も多いと感じますが、
    そのずれは、お互いに伝えていかなければわかりませんよね。
    本土の人間ももっと沖縄のことに目を向けるべきですし、
    沖縄も人も、沖縄以外の日本全体のこと、
    そして世界の状況にも
    目を向けるべきではないかと感じます。

    書きたいことは色々あるのですが、
    このブログの趣旨とかけ離れて行くので
    また別の機会にしますね。

    また遊びにいらしてください。

  3. はじめまして。私は沖縄観光に従事している雪野と申します。偶然、ブログを拝見し、感慨深い記事を読ませていただきました。おっっしゃる通り、ひめゆりの今の有り様は、目を疑います。観光業に従事する一人として、心して努めたい思います。ご指摘ありがとうございます。

     コメントの中で感じたことを少し述べさせて頂きたいと思います。ちなみに私は日本人です。出身は沖縄県です。でも沖縄の人々は自分たちの事を沖縄人(うちな~んちゅ)と言います。私もそういう風に自分を認識しています。
    私は日本語教育で育ちました。しかし、傍ら沖縄の伝統芸能を継承しながら育ちました。そのため、「うちな~口(ぐち)」も分かります。しかし、歴史の中で、うちな~口(琉球語)は使ってはいけないと旧日本・帝国政府からのお達しで、沖縄人々はうちな~口を捨てるよう努力しました。そのため、私は流暢なうちな~口を話す事はできません。基地の事もまたそうです。当時は受け入れざるをえなかったと思います。
     
     こうして見るとまるで被害者発言ですが、ただComanaさんに申し上げたいのは、私たち沖縄人は決して完全なる被害者だとは思っていないということです。
     県政府が強く反対すれば、今や基地も撤廃してくれるかもしれないのが現状です。しかし小さな望みに一生懸命頑張る人が少ないので、やはり沖縄の人々は完全なる被害者ではないと私は思います。そして、私たちももう「沖縄は日本の一地方である」という風に考えていると思います。ただ区別化したいだけなんです。それは、私たちの根底に息づく沖縄人(うちな~んちゅ)としてのアイデンティティや、暮らし・風土があるから。
     
     沖縄自身が観光に力を入れているのは、やはり経済の問題が最大の原因だと思います。沖縄の経済が抱えている問題をよく見るとわかりますが、基地の土地から得られる収入=経済ですし、雇用の問題を解決するには、観光立県という政策が物すごく助けになっていると思います。
     沖縄には立派な資源があるわけでもないし、技術もありません。でも「心」があります。沖縄のおもてなしで、世界の人々にまた沖縄の良さを感じてほしい。
     ただ現実には排他的な所も見受けられるかもしれません。でも沖縄人が常に願っていることは、どこの地域とか国とか関係なく、「皆仲良く生きて行こう」ということです。

     沢山の矛盾の中で、私もいつも考えさせられています。芸術の立場から申し上げると、華やかで派手な沖縄だけでなく、ディープな沖縄の文化を知ってもらうことが今の私の目標です。本当の沖縄の文化は人工ビーチやテーマパークで披露されている物ではありません。
     沖縄の伝統文化の中に沖縄の本物が見えると思います。私はそう信じています。

     長いコメントで申し訳ありません。ご精読ありがとうございました。

  4. ★にこさん、

    初めまして(^^)
    フランス旅行記を読んでいただいたそうで…
    うわわ、お恥ずかしい!まだ二日目で放置という状態です!
    何かお役に立つことがありましたか?(汗)

    沖縄の記事のリンク、ありがとうございます!

    > なんというか…余計もやもやしてしまいましたが。

    確かにそうですね…

    ネイティブハワイアンは、本音では白人を信頼していないといいますが、
    沖縄の人たちもそれに近いのかもしれません。
    どちらも同じように「造られた楽園」であるところも。

    > 沖縄は「怒り」を忘れやすい。
    そうでなければ生きられないことを知っているから。どうやってでも明るく笑おうとする。

    ここは、切ないですね。
    地理的な要因も大きいのでしょうけれど、
    沖縄はずっと大国に翻弄され続けてきたのでしょう。

    でも、

    > だから、どうせ笑って許してもらえると、どこかで想われている。

    これは…どうなのでしょう?そう思われているんですか?
    たとえば基地問題のことなどでしょうか?

    本当に、考えれば考えるほど、こちらも複雑な気持ちになります。

    書き始めると止まらなくなるのでやめておきますが、
    「沖縄も日本の一地方である」ということを、
    実は沖縄の人たちのほうが拒否している気がします。

    沖縄をリゾートとして、癒しの島として売り出したのは
    沖縄の人たち自身ではないのでしょうか?
    (あれ、違うのかな?)
    「良いところだね」と訪れる観光客がいなければ、
    困るのは沖縄の人たち自身なのでは。

    そういうイメージを能天気に受け入れられない気持ちはわかりますが、
    (実際私はそういう気持ちにはなれなかったわけですし)
    そう肯定的に思っている人の気持ちを斜に構えて否定するのは…
    ん~、どうなのでしょうね。

    本当に、複雑な気持ちになりますね。

  5. はじめまして。
    今度フランスに行くので、パリ旅行記楽しく拝見いたしました[E:confident]
    私も何度か沖縄に訪れたことがあり、違和感すごくよくわかります。
    ただ最近、深く考えさせられる記事に出会いました。なんというか…余計もやもやしてしまいましたが。
    もしよかったらご覧くださいませ[E:cat]

    こっこタイムス
    http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-09-07_9944/

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