淡水の街を歩くと:台湾・24

つまみ食いしながら、またまたあてもなく街をフラフラ。とりあえず、見どころとされる紅毛城のほうに向かうことにしました。
といっても、ちゃんと地図を見るわけでもなく、なんとなーく。あっちに行き、こっちに行き、とウロウロ。
11年後の今になってそのときの写真を見返しても、それがいったいどこなのやら(苦笑)

でも、たいていの写真に赤レンガの建物が写っています。
古いものもあれば、街の景観のために整備したであろう新しいものも含めて、街全体の雰囲気が統一されている感じです。

上の写真は、歩いていて、ふいに迷い込んでしまった一区画。囲いもなく、突然こういう場所が出てくるんです!ここは古い建物を整備した公園みたいなものだったのかな…(結局謎です 笑)

こちらは台湾で最も古い礼拝堂である「台湾基督長老教会淡水教会」。荘厳というよりも、どことなく素朴で、街になじんでいます。中の様子も見てみたかったな。

こうした整備された場所だけでなく、かなり古そうなレンガ造りの建物が、街のあちこちにポツリポツリと残されています。

こういう本気で古いレンガの佇まいは、ディズニーランドの美術さんでもそうそう再現できないでしょう!しかもその中で、普通に生活が営まれている(らしい)のが面白い。

そのうち、なにやらすごそうな建物に行き当たりました。赤レンガの建物に、どこかしらアジアチックな池と噴水。ここは真理大学という大学のキャンパスでした。

あとで知りましたが、上の写真の建物は、1882年に台湾初の西洋教育の学校として建築された「オックスフォードカレッジ・牛津学堂」だそうです。うーん。もうちょっとよく見ておけばよかった…

下は牛津学堂の向かいに建つ礼拝堂です。(真理大学はキリスト教系の大学です)

わー、なんだかすごい(極めて浅い感想)、すごいけど… 
はて、紅毛城とやらは?このあたりのはずなんだけど…

結局、目指す紅毛城が見つけられないまま、「なんかすごそうな建物」を見て満足し、あっさり諦めてしまいました。
ちなみに紅毛城は、礼拝堂のすぐ裏側だったそうですけど!
まあよかろう、そもそも紅毛城がどんなものかも知らずに歩いていたんだから(苦笑)

一方、途中でこんな建物も見かけました。
見かけました、というか、赤レンガの塀に囲まれた中に、ひっそりと残されていたのですが。

えっ、日本家屋!?

まさしく、昭和感あふれる古い日本家屋が、そのまま残されています。生活の気配はありませんが…
なんなんだろう?ここ…
というのも、この建物をぐるっと囲む赤レンガの塀の上には、

割れたガラスが、グサグサと刺さっているんです!
なにこれ~(涙)ここに住んでいた日本人が、現地の人の恨みでも買ったのかしら…

と、勝手に心配していましたが。
このグサグサガラス塀が何だったのかはわかりませんが、この建物は現在、「多田栄吉故居」として一般公開されているそうです!

「多田栄吉故居」は、日本統治時代に第四代の淡水街長を務めた多田栄吉氏が1934年に建設した日本式の住居で、2005年に古跡指定された建物です。修復工事の後2016年に一般公開されたほか、2020年1月には庭に手入れが入り、敷地内の景色も整備されました。
神戸の大地主の家に生まれた多田氏は1897年に来台し、淡水で多くの公益社会活動をした人物として有名です。

台北ナビ

じゃあ私たちが見たときは、古跡として保存中だったってことなんですね。良かった…
(ガラスは有刺鉄線のような侵入除けだったのかな)

淡水は「風光明媚、夕陽がきれいな観光地」というイメージがありますが、17世紀のスペインに始まり、オランダ、イギリス、そしてやがては日本の支配下に置かれた、複雑な歴史を持つ街でもあります。
現地の人が日本人にどういう思いを抱いているのかは、少し気にかかるところです。(もっとも台湾全体がそうですけれど)

これまたふらっと入った路地が袋小路になっていて、どこかの建物の裏口にぶち当たってしまいました。
入り口上部に「天恩春滬尾」と書いてありますが、滬尾とは淡水の昔の地名だそうです。この名前は、地元の人にとって大切なんでしょうね。(「天恩」は「天の恵み」として、これ全体でどういう意味になるのかな。)

西洋と東洋が入り混じったこの街は、観光客はもちろん地元台湾の人にも「映える」場所のようで…
上の写真のような人たちの姿があちこちで、本当にあちこちで見られました!次回はその話です(笑)

★これは2010年の様子です。これから行かれる方は最新の情報を確認してくださいね。
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